会計事務所にはどんな人がいるのだろう。たまに小説や漫画などで見る彼らは、とても頭が良さそうだったリするし、そう思えばまったく正反対のとぼけたような、面白いキャラが売りの人もいる。とは言え、多分実際の会計事務所にいる人というのは、真面目かつ誠実な人が多いのだろうと思う。もしかすると、私の個人的な願望かもしれないが。
賃貸事務所は、賃貸アパートや賃貸マンション等と同じで、色々な条件によって、家賃というものが決まってきます。とくに、都心のオフィス街で駅からもとても近いような利便性のよい賃貸事務所の場合ですと、かなりの家賃となってきます。最近、銀座の雑居ビルでは、よく空き店舗を見かけます。やはり、銀座は家賃が高いので、なかなか決まらないのでしょう。
任期満了に伴う高知県土佐市長選と南国市議選(定数21)、議員死去に伴う土佐市議補選(欠員1)は9日告示された。土佐市長選は、現職の板原啓文氏(56)=無所属=以外に立候補の届け出がなく、板原氏の無投票再選が決まった。
一方、南国市議選には現職16人、元職1人、新人8人の計25人が立候補し、激しい舌戦が始まった。党派別の内訳は民主1人、公明2人、共産4人、社民1人、無所属17人。また、土佐市議補選も無所属新人2人が立候補し、選挙戦に突入した。投開票はそれぞれ16日に行われる。
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■「泣き相撲」元気に育て
赤ん坊の健やかな成長と無病息災を願う「泣き相撲」が9日、和歌山県海南市下津町市坪の山路王子神社で行われた。市内外から大勢の親子連れらが訪れ、土俵で繰り広げられる“好勝負”に境内は泣き声と歓声に包まれた。
「背中に土をつけると丈夫な子どもに育つ」といわれ、約450年前から同神社に伝わっている。生後4カ月から3歳までの赤いまわしをつけた“力士”70組140人が参加した。
行司役の加茂川小学校1年、森岡篤紀君(7)が「幼き子どもたちを集めて無病息災を神様にお祈りし、奉納花相撲を興行つかまつります」などと口上。氏子に抱えられて男児2人1組ずつが土俵に登場し、取り組みを行った。
取り組み前から泣き出す赤ちゃんもおり、背中を土俵につけられ大声で泣き出すと周囲から歓声や笑い声が起こった。
父母らはわが子の姿を盛んにカメラやビデオに収めていた。
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第14回みちのくYOSAKOI(よさこい)まつり(実行委員会主催)が9日、仙台市青葉区の勾当台公園など市内9会場で行われた。恒例のパレードのほか、東日本大震災の犠牲者を追悼する踊りも披露され、2日間にわたるイベントを締めくくった。
心地よい秋風が吹く中、全国から集まった181チーム、約8000人の参加者はこの日も木製の鳴子(なるこ)を手に群舞を展開。定禅寺通りと一番町四丁目商店街とでそれぞれパレード、沿道の観客を盛り上げた。
午後2時46分には大震災の犠牲者を悼んで参加者全員で黙とう。メーン会場の市民広場で地元の合同チームが追悼演舞を行ったほか、大会に参加できなかった全国の愛好家らも同時刻に合わせて各地で踊りをささげた。
仙台市の「伊達たぬき」に所属する大友まりこさん(63)は「まだ震災の傷跡は癒えないが、全国のYOSAKOI仲間の支援でますます頑張ろうという気になった」と話した。
まつりの実行委員長を務め、震災を契機に発足した「YOSAKOI!JAPAN連絡協議会」の嶋津紀夫代表(71)は「YOSAKOIは日本を一つにする祭りだとあらためて実感した」と述べ、来年3月11日に宮城県内でYOSAKOIの全国大会を初めて開催する考えを示した。
グラススキーの第27回全日本選手権と高円宮牌ジャパンオープンが8、9の両日、宮城県七ケ宿町のみやぎ蔵王七ケ宿スキー場に設置された公認コースで行われた。日本グラススキー協会の主催。
チェコとスロバキア、台湾からの海外選手11人を含む約60人が出場。全日本選手権は回転と大回転、高円宮牌はスーパーコンビ競技(回転とスーパー大回転)が行われ、それぞれで頂点を競った。
七ケ宿町での大会開催は2年ぶり。2013年9月には七ケ宿スキー場でグラススキーの世界選手権が国内で初めて開催される。
東日本大震災で壊滅的被害を受けた岩手県陸前高田市気仙町今泉地区。江戸時代、仙台藩気仙郡の中心地として栄えた古い町並みは姿を消し、「大肝入(おおきもいり)屋敷」と呼ばれた岩手県指定文化財「吉田家住宅」=?=も流された。「歴史を取り戻したい」「散り散りになった地元の人々を勇気づけたい」。200年以上前からあった地域の象徴的な建物を復元したいと願う人たちがいる。
吉田家住宅の跡地で1日、回収できた母屋の部材の運び入れ作業が行われた。梁(はり)や棟の仕上げ跡には気仙大工の技が光る。岩手県立博物館職員やボランティアらが、慎重に保管倉庫のパイプハウスに運んだ。
建物は母屋、みそ蔵、長屋、土蔵の全てが流失。土蔵にあった県指定文化財の伊達政宗の黒印状など貴重な収蔵品は見つかっていない。
県立博物館主任専門学芸員の佐々木勝宏さん(50)ら職員が6月、母屋の部材の7割、約500本を現場周辺から何とかかき集め、復元が期待できるまでになった。「つぶれたのを見たときは駄目かなと思った」と、15代当主で歯科医の吉田裕さん(54)は振り返る。
陸前高田市の県立高田高で教壇に立ち、博物館で吉田家の文化財指定にちなむ展示会を担当したこともある佐々木さんは復元に強い思いを寄せる。
故郷の宮古市田老は、明治三陸大津波(1896年)や昭和三陸津波(1933年)など度重なる津波で多くの文化的史料が失われた。今回の津波で両親の仁平さん(76)、妙子さん(75)と実家が奪われた。家にいた足が不自由な妙子さんを、仁平さんが迎えに戻ったところを津波が襲った。
「価値あるものが(陸前高田市に)残っているのに、津波でなくしたくない」と佐々木さん。「助けられなかった両親が『やれることをやれ』と言っているような気がする」
明治に入り大肝入の役割を終えてからも、吉田家は今泉地区の住民から「大庄屋さん」と親しみを込めて呼ばれた。住民は屋敷の草刈りやカヤのふき替えを手伝うなど気に掛けてくれた。
自宅や歯科医院を失い、仮設住宅で暮らす吉田さんは「大庄屋を中心にして生活が成り立ってきた歴史を感じた」と言う。震災後新たに作った名刺には、母屋の写真と説明文を印刷した。
復元には費用など課題もあり道のりは長い。佐々木さんはまず部材を一本一本写真に収め、専門家に不足部分を調べてもらおうと考えている。
「気仙の人たちにとって、吉田家は誇り。母屋の復活は、復興に向けた勇気づけになる」
佐々木さんはそう確信している。
[吉田家住宅]1802年の建築。大肝入は仙台藩の村方役人で最上位に位置する役職で、吉田家は気仙郡24村の行政、司法を担った。現存する大肝入屋敷は珍しく、2006年、岩手県文化財に指定された。95冊に及ぶ執務記録「定留」、「伊達政宗黒印状」などの古文書も1995年に同文化財に。被災した陸前高田市立図書館にあった「定留」などは県立博物館が運び出し、修復作業が行われている。